現代の日本では、登山やハイキング、歴史散歩など“歩く旅”が静かなブームとなっています。その背景には、自然とのふれあいや健康志向だけでなく、歴史や伝統文化を五感で味わいたいという人々の思いがあります。特に、江戸時代の巡礼道――つまり当時の人々が信仰やご利益を求めて歩いた「お遍路」や「西国三十三所巡礼」「熊野古道」などの道――は、今も全国各地に残され、歩き旅の愛好者や歴史ファンに大きな人気を誇っています。
江戸時代の巡礼文化とは
江戸時代(1603~1868年)は、戦乱の世が終わり、庶民にとって「旅」が身近なものになった時代です。幕府による五街道整備や治安維持、そして寺社参詣の奨励により、人々は「伊勢参り」「四国八十八箇所」「西国三十三所」など、さまざまな巡礼の道を歩くようになりました。
巡礼は、単なる観光や行楽ではありません。厄除け、子宝祈願、健康長寿、先祖供養といった信仰心が原点ですが、同時に普段の生活や身分のしがらみを離れ、広い世界を見てみたい、交流したい、という庶民の願望を叶える貴重な機会でもありました。江戸時代の道中記や絵巻には、巡礼に出発する家族や旅人たちの高揚感、沿道の宿場や茶屋の賑わい、道中での出会いや助け合いが生き生きと描かれています。
代表的な巡礼道――今に残る歴史の足跡
四国八十八箇所
最も有名な巡礼道のひとつが「四国八十八箇所お遍路」です。弘法大師空海ゆかりの八十八の札所(寺院)を巡るこの道は、江戸時代には既に多くの巡礼者が歩いていました。全行程は約1,200kmに及び、現代でも“お遍路さん”姿の人々が各地で見られます。道中は、古い町並みや田園風景、遍路宿、接待文化(おもてなし)が今も息づいています。
西国三十三所巡礼
西日本を中心とした三十三ヶ所の観音霊場を巡る「西国三十三所」も、古来より人々の信仰を集めてきました。京都・大阪・奈良・兵庫・和歌山・滋賀・岐阜などを巡るこのルートには、歴史的な寺院や名勝、温泉地が点在し、歩きながら日本の美しい風景や仏教文化に触れられます。
熊野古道
和歌山県南部の紀伊山地を貫く「熊野古道」は、熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)への参詣道として知られ、平安時代から江戸時代にかけて多くの参拝者で賑わいました。石畳や杉並木、苔むした道、村落や休憩所などが往時のまま残り、世界遺産にも登録されています。
巡礼道の魅力――歩いてこそ見える日本
江戸時代の巡礼道を歩く最大の魅力は、「歩くことでしか得られない発見と感動」にあります。
- 歴史の痕跡を辿る
古い道標や一里塚、昔の宿場町、石仏やお地蔵様など、道沿いに点在する歴史的遺産は、歩きながらじっくり味わうことで、その土地の物語や人々の信仰心に触れられます。 - 人とのふれあい
江戸時代の巡礼も、現代の歩き旅も、人と人との出会いが大きな魅力です。遍路宿や地元の商店、道端で出会う地域の方々との挨拶や会話、お接待の文化は、旅の思い出をより深いものにしてくれます。 - 自然との共生
巡礼道の多くは、山間部や田園地帯、川沿いなど、自然豊かな景観の中を進みます。四季折々の草花、野鳥のさえずり、清流のせせらぎを感じながら歩くことで、現代社会では味わえない「心のリセット」や「自分自身と向き合う時間」を得られます。
現代の歩き旅と巡礼道の保存
近年は、健康志向やスピリチュアルな価値観の広がり、さらにはアニメや文学作品の舞台巡り(聖地巡礼)など、多様な目的で巡礼道を歩く人が増えています。各地の自治体や観光協会も、道標の整備や宿泊・休憩施設の充実、ガイドブックやデジタルマップの提供など、歩き旅を支える工夫を重ねています。
また、巡礼道の多くは歴史的文化遺産として世界遺産や日本遺産に登録され、国内外からの関心も高まっています。地元のNPOやボランティアが、道の清掃や史跡の保護、ガイド活動を行い、次世代にこの貴重な文化を伝えようとしています。
巡礼道を歩く心得
江戸時代の旅人たちが大切にしたのは「謙虚さ」と「感謝の心」です。現代の歩き旅でも、その精神を大切にしたいものです。
- 道や寺社、集落ではマナーを守り、ゴミの持ち帰りや静かな参拝を心がけましょう。
- 地元の人々や他の巡礼者と温かく接し、時には「お接待」を受ける際は必ず感謝の気持ちを表しましょう。
- 天候や体調管理にも気を配り、自分のペースで無理せず歩くことが大切です。
まとめ
江戸時代の巡礼道は、単なる移動や観光ルートではなく、日本人の信仰や生活、地域の文化・経済を支えてきた大切な道です。歩くことで歴史と現在をつなぎ、人々の思いや自然の美しさに触れ、自分自身と向き合う――そんな豊かな時間を、ぜひ体験してみてください。
現代に生きる私たちもまた、江戸時代の旅人たちと同じように「歩くこと」の本当の意味と喜びを再発見できることでしょう。