平城宮跡保存の歴史

1. 保存と研究の歴史

都が長岡京へ移った後、一時は平城京を都に戻そうとする動きもありましたが、時は流れて都の跡は土の中に埋もれてきました。

江戸時代の末になって、北浦定政(きたうらさだまさ)による平城京の研究が行われました。次いで、明治の終わり頃には、関野貞(せきのただし)、喜田貞吉などによる研究が行われ、奈良時代の都の姿が次第に明らかにされてきました。

また、明治から大正時代にかけては、棚田嘉十郎(たなだかじゅうろう)や溝辺文四郎(みぞべぶんしろう)など地元の人々による大極殿跡の保存活動にも支えられました。


そして、昭和27年、国の特別史跡に指定され、現在は、独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所により、継続的な調査・研究が行われています。
また、平成10年には、平城宮跡を含む「古都奈良の文化財」がユネスコの世界遺産に登録され、世界的にも注目を集めています。

2. 復元と公開

平城宮跡では、発掘の成果をよりわかりやすく知っていただくために、さまざまな手法で遺跡の整備が進められており、遺構展示館では、発掘で見つかった遺構の実物を見ることもできます。

また、遺構を埋め戻して保存し、その上部に型どりした遺構模型を展示する方法や、盛り土と植栽で建物の規模と柱の位置を示す方法、建物の基壇や壁の一部まで復原する方法なども用いられています。


さらに、朱雀門や東院庭園では、建物や庭そのものを当時の姿に復原する方法がとられています。そして、平城遷都1300年にあたる2010年(平成22年)には9年の歳月をかけて第一次大極殿正殿の復原工事が完了し、当時の姿が再現されています。

このように「平城遺跡博物館基本構想」に基づいた野外博物館をめざして整備が進んでいます。

3. 保存に関する歴史年表

1852年 北浦定政の「平城宮跡大内裏跡坪割之図」などが完成
1922年 平城宮大極殿朝堂院跡が史跡に指定
1952年 平城宮跡が特別史跡に指定
1961年 木簡出土第1号
宮跡内での鉄道検車区建設計画が国民的世論により中止
1964年 平城宮の東側に張り出し部を発見
1977年 「平城遺跡博物館基本構想」に基づいて整備事業が本格化
1998年 朱雀門、東院庭園の復原がほぼ完成
平城宮跡を含む「古都奈良の文化財」がユネスコの世界遺産に登録
2001年 第一次大極殿正殿の復原工事に着手
2010年 第一次大極殿正殿の復原が完成